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祖父が羽田村に住んでいて戦後、GHQが来て追い出されたと文句言ってたなぁ😅 穴守稲荷は遊女に人気があったと聞きました。※穴を守るからと…. 戦後も旧羽田空港駅近くに住んでいて、遊びに行った時は歩いて空港に飛行機✈️みにいったなぁ。
いつも楽しみに観ています。私の研究の関係で過去へ遡り現在を観ることは世界を知るきっかけとなります。青い空、人々の服装、昔風の建物懐かしい看板、道路、車、山々、あと何年生きられるか分からないけれど未来は過去と言われています。
毎回、小田急タイムの声に、癒されます
看板のある通りの写真、なぜか惹き付けられるものがありますが、奥に見えるのが弁天橋でしょうかGHQひどいですね、住民の方々が可愛そう
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo et très bon dimanche ! 🌟
江戸時代の文政年間に、堤防を守り、五穀豊穣の神様として勧請された穴守稲荷ですが、飛行場が開設し拡大するとともに、ご利益に航空無事故も加わり、今のような空港の守護神となったようです。時代とともに神様のご利益が付加されていく柔軟さ、日本的なのかもしれません。
羽田空港に鳥居があった時代が懐かしい。30年も前になりますが。
40年前のちょうど今頃、穴守稲荷の前でスチュワーデス物語の撮影をしていたのを見ました。
BGMのメロディラインが何とも言えない奇妙さを醸し出してる
鈴木彌五右衛門が干潟を埋め立てて造った新田の島ですな大正に入って島内にまで鉄道が伸びて市街化したほか、今の第3ターミナルのあたりには羽田競馬場ができました戦前は空港もまだ規模が小さくて穴守稲荷や町と併存できたんですがねえ
GHQが取り壊そうとしたら事故があったとか祟りがあるから残ったとか噂ありましたよね京浜急行が寄進した大鳥居より本殿取り壊す方がよっぽど罰当たりだとは思いますが・・・航空写真遡ってみたら穴守駅(二代目)の駅前ですね
昔の写真にあるように海老取川沿いに大きな看板がたくさんあって「空港」の風情を醸し出していたのですが、今はポンジュースひとつになってしまって寂しいです。 しかし海老取川はどっちが「上流」なんだろう?
多摩川河口側が上流ですそこから北側に流れ呑川河口に合流し東京湾へ
ありがとうございます ちゃんと決まってるんですね@@r.v.w9696
いつもありがとうございます。今回もお疲れさまでした。実は去年の暮れに羽田乗継で3時間以上時間があったため、京急の大鳥居から穴守稲荷まで歩かせて頂きました。恥ずかしながら、初めて都内の生活圏内を観光いたしましたが、銀座や新宿などの有名な地域とは違う風情を感じることができてとても満足でした。特に京急踏切の警報音は何とも言えない癒しを感じました(笑)穴守稲荷神社もそのような歴史があったのですね…おかげさまで改めて都内を再発見できる機会を得ることができました。空港にあった大鳥居の移設はニュースで見たことがありますが、もう少し頑張って歩けば移設後の場所まで行けたのですね…(苦笑)やはり、都内ならばJRよりも民鉄沿線の方がテレビ等では目立たない部分の風情が感じられるかもしれないかも…たった3時間くらいでしたがとてもいい途中下車をさせていただきました!
海老取川沿いの巨大なネオン看板、ものすごく懐かしいです。旧・羽田空港駅は何故空港内ではなく船着場の手前にあるのだろう?・・・と幼いころ不思議に思っていました。ローカル線のような味わいのあった空港線が好きでした。
戦争後の悲しい記憶。。。人の性の悲しさを感じます。羽田の大鳥居が世界の平和を見守り続けることを祈ります。
かつて穴守稲荷神社があった現空港敷地内はもともと多摩川河口の砂洲で出来た干潟そこを鈴木彌五右衛門という人物が埋立て開墾した土地のちに鈴木新田と呼ばれ明治大正昭和と天皇家の鴨漁場や飛行場、競馬場、運動場、鉱泉が掘られたため浴場施設などができ拡大発展したがその地に住む住人は先の大戦後に数奇な運命を辿ることになる
あの鳥居は・・・地元では何かがあると語り草になってました。羽田の街は、穴守橋の先まで続いていたのですが、戦後まもなく米軍による占領で強制退去させられてしまいました。方法が大変乱暴だったことから、地元に住む人たちの心の傷として残ってしまいました。羽田神社の祭(穴守稲荷の祭ではありません)は、7月最終の土日で、日曜午後3時半から天空橋の空港側から出発する神輿連合渡御が見ものです。大変暑いので小銭いっぱい持って屋台のビール呑みながら見物しましょう。
戦争に負けるとは、こういうことです。
多摩地区の住民としては砂川闘争、更に今の横田基地を想起せざるを得ない話ですね。砂川の方は国営昭和記念公園・その中のこもれびの里(農村再現エリア)として昔を偲ぶことは出来ますが…
JRがそのうち延伸するから近代化するかな? 大鳥居にメルキュール出来て少しまともな街になりつつある
働いていた企業の本社がここにありました。穴守稲荷様には入社試験合格祈願から始まり退職するまでいろんな時点で助けて頂きました。ド文無能の馬鹿者が度々厚かましく助けを求め、ご迷惑極まりなかった事この場で深く深くお詫びを申し上げます。穴守稲荷様は救いの神様です。再拝。
SEGAとかEBARA かな?
@@lwwwwl さんへ、後者です。畠山一清さん創業の。
GHQに神罰はあったのか。
祖父が羽田村に住んでいて戦後、GHQが来て追い出されたと文句言ってたなぁ😅 穴守稲荷は遊女に人気があったと聞きました。※穴を守るからと…. 戦後も旧羽田空港駅近くに住んでいて、遊びに行った時は歩いて空港に飛行機✈️みにいったなぁ。
いつも楽しみに観ています。私の研究の関係で過去へ遡り現在を観ることは世界を知るきっかけとなります。青い空、人々の服装、昔風の建物懐かしい看板、道路、車、山々、あと何年生きられるか分からないけれど未来は過去と言われています。
毎回、小田急タイムの声に、癒されます
看板のある通りの写真、なぜか惹き付けられるものがありますが、奥に見えるのが弁天橋でしょうか
GHQひどいですね、住民の方々が可愛そう
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo et très bon dimanche ! 🌟
江戸時代の文政年間に、堤防を守り、五穀豊穣の神様として勧請された穴守稲荷です
が、飛行場が開設し拡大するとともに、ご利益に航空無事故も加わり、今のような空
港の守護神となったようです。時代とともに神様のご利益が付加されていく柔軟さ、
日本的なのかもしれません。
羽田空港に鳥居があった時代が懐かしい。30年も前になりますが。
40年前のちょうど今頃、穴守稲荷の前でスチュワーデス物語の撮影をしていたのを見ました。
BGMのメロディラインが何とも言えない奇妙さを醸し出してる
鈴木彌五右衛門が干潟を埋め立てて造った新田の島ですな
大正に入って島内にまで鉄道が伸びて市街化したほか、今の第3ターミナルのあたりには羽田競馬場ができました
戦前は空港もまだ規模が小さくて穴守稲荷や町と併存できたんですがねえ
GHQが取り壊そうとしたら事故があったとか祟りがあるから残ったとか噂ありましたよね
京浜急行が寄進した大鳥居より本殿取り壊す方がよっぽど罰当たりだとは思いますが・・・
航空写真遡ってみたら穴守駅(二代目)の駅前ですね
昔の写真にあるように海老取川沿いに大きな看板がたくさんあって「空港」の風情を醸し出していたのですが、今はポンジュースひとつになってしまって寂しいです。 しかし海老取川はどっちが「上流」なんだろう?
多摩川河口側が上流です
そこから北側に流れ
呑川河口に合流し東京湾へ
ありがとうございます ちゃんと決まってるんですね@@r.v.w9696
いつもありがとうございます。今回もお疲れさまでした。実は去年の暮れに羽田乗継で3時間以上時間があったため、京急の大鳥居から穴守稲荷まで歩かせて頂きました。恥ずかしながら、初めて都内の生活圏内を観光いたしましたが、銀座や新宿などの有名な地域とは違う風情を感じることができてとても満足でした。特に京急踏切の警報音は何とも言えない癒しを感じました(笑)穴守稲荷神社もそのような歴史があったのですね…おかげさまで改めて都内を再発見できる機会を得ることができました。空港にあった大鳥居の移設はニュースで見たことがありますが、もう少し頑張って歩けば移設後の場所まで行けたのですね…(苦笑)やはり、都内ならばJRよりも民鉄沿線の方がテレビ等では目立たない部分の風情が感じられるかもしれないかも…たった3時間くらいでしたがとてもいい途中下車をさせていただきました!
海老取川沿いの巨大なネオン看板、ものすごく懐かしいです。
旧・羽田空港駅は何故空港内ではなく船着場の手前にあるのだろう?・・・と幼いころ不思議に思っていました。
ローカル線のような味わいのあった空港線が好きでした。
戦争後の悲しい記憶。。。人の性の悲しさを感じます。
羽田の大鳥居が世界の平和を見守り続けることを祈ります。
かつて穴守稲荷神社があった現空港敷地内はもともと多摩川河口の砂洲で出来た干潟
そこを鈴木彌五右衛門という人物が埋立て開墾した土地
のちに鈴木新田と呼ばれ明治大正昭和と天皇家の鴨漁場や飛行場、競馬場、運動場、鉱泉が掘られたため浴場施設などができ拡大発展したが
その地に住む住人は先の大戦後に数奇な運命を辿ることになる
あの鳥居は・・・地元では何かがあると語り草になってました。羽田の街は、穴守橋の先まで続いていたのですが、戦後まもなく米軍による占領で強制退去させられてしまいました。方法が大変乱暴だったことから、地元に住む人たちの心の傷として残ってしまいました。羽田神社の祭(穴守稲荷の祭ではありません)は、7月最終の土日で、日曜午後3時半から天空橋の空港側から出発する神輿連合渡御が見ものです。大変暑いので小銭いっぱい持って屋台のビール呑みながら見物しましょう。
戦争に負けるとは、こういうことです。
多摩地区の住民としては砂川闘争、更に今の横田基地を想起せざるを得ない話ですね。砂川の方は国営昭和記念公園・その中のこもれびの里(農村再現エリア)として昔を偲ぶことは出来ますが…
JRがそのうち延伸するから近代化するかな? 大鳥居にメルキュール出来て少しまともな街になりつつある
働いていた企業の本社がここにありました。穴守稲荷様には入社試験合格祈願から始まり退職するまでいろんな時点で助けて頂きました。ド文無能の馬鹿者が度々厚かましく助けを求め、ご迷惑極まりなかった事この場で深く深くお詫びを申し上げます。穴守稲荷様は救いの神様です。再拝。
SEGAとかEBARA かな?
@@lwwwwl さんへ、後者です。畠山一清さん創業の。
GHQに神罰はあったのか。